本を送ることについて

被災地に絵本児童書を送ることについて。
たぶんこのブログをご覧になっている方も、もやもやしたものがあるんじゃないかと思っていたのですが、そんなもやもやに対して、杉山さんはこう日記に書かれています。迷っておられる方は、読んでみて下さい。
支援の仕方は、いろいろあります。絵本を送ろうは、その一つ。もちろんわたしだって、医薬品、食料、ガソリンなどが優先だと思っています。

では、杉山さんの日記を貼り付けますね。

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さて、いよいよ「絵本児童書を
被災地へ大作戦」が始まりますが
その前に
ちょっと自分なりに思うことを
書いてみます。
長いです。

☆その作戦の話は聞いたけど
それってどうなの、、どうしようかなあと
二の足を踏んでいる人に
聞いてもらおうと思って書き始めます。
する以上、大勢の人に
じょうずに巻き込まれてもらいたいと
願ってです。

☆まず、こういう運動で
注意しなければいけないのは
送る側が勝手に
自己陶酔してしまうことです。
子どもなら絵本だよね。おもちゃだな。とか
勝手に決め込んで一方的にただ送って
いいことしたつもりになってしまう人。
けっこういます。

☆でも、それを送るだけで子どもがまちがいなく
喜ぶと思うのは
たいてい大人の幻想です。

☆ぼくのまわりにも
そういう単純な偽善ぽい感じを嫌い、
そういう人といっしょにされたくないなあと
思っている
クールな部分をもちあわせた人は
大勢います。

☆そして、ぼくもまた、初め少し
及び腰だったのは
最初のよびかけに書いた通りです。

☆で、それについては
こう思います。
なにかしなきゃと思いつつ、
いい方法が浮かばない時は
ぼくは知人の提案にのろうと。
その機会を与えてもらえたことに感謝しつつ
てつだわせてもらおうと。
一番いいかどうかはわからなくても
何番目かにはいいと思えるなら
それをしようと。

☆こういうのを偽善というなら
偽善といわれてもぼくは
真っ向から否定しません。
というかできません。
なぜなら
最初から善人100パーセントの人なんていない。
これって偽善ぽいかなあ、
人のためにやってるように見せかけながら
おれ、自分のためにやっているのかなあ。
自分はずるいのかなあ。
なんて自問しつつ
しかし、そういう行動を重ねて
そのうち、なにも考えず
楽にやれるようになった人が
はたから見て善人になってるってことなんだと
思います。

☆少なくとも心の中でいくら考えても
なにも社会は変わらない。
最低限、ベタに動き出さないと
新しい展開は見えてこないのは
はっきりしています。

☆今回も今、被災地で
絶対ほしいのは
電気や食べ物やガソリンや暖房や薬と
伝わっています。
すべてもっともだと思います。

☆でも、ぼくはガソリンや薬を
手に入れて送るすべを知らないし、
そこはそこをなんとかしようとがんばっている人が
いることを信じて、
それぞれが得意分野で動けばいいと思っています。
ぼくの場合はなぜか子ども畑、書籍畑に知り合いが
多いので、
いってみればそのあたりに土地勘があって
楽に動けるんです。

☆そして、絵本や児童書が
現地で求めれているものの
二番手三番手で、
絶対ほしいものじゃないとしても
あったらいいなというものではあるとは思います。
その、ちょっとほしいもの部門を受け持つ人も
また、いた方がいいんです。

☆今回はきっと長期戦になります。
あまりに多くのものが一度に奪われ、
どう考えても、そう簡単に復興とはいかないでしょう。
そうなると、人は役に立つものだけでは
長続きしません。
本来、花を飾ったり、絵を描いたり
歌を歌ったりする変な動物です。
でも、そういう変だけど好きなことをする中で
自分の尊厳を保っていくわけで
それができないととてもつらいです。
本もまた、なくても大丈夫な人もいるけど
ないととてもつらい人もいます。
大人も子どももそう。
そこに届けられば最低限の
役割ははたされます。

☆次にどんな絵本や児童書を
送ったらいいのかという話をします。
なぜなら、絵本や児童書のすべてが
子どもの心をケアするはずもないからです。

☆絵本とはひらたくいえば
絵のある本全般のことで
その中にはおもしろいものもつまらないものもあります。
当たり前です。
それは映画でも音楽でも美術でも
なんにでもいえることです。

☆例をあげると、本好きな大人はどんな本をもらっても
嬉しいかというと
そんなはずはありません。
ぼくだって、本屋に入って
買いたい本が一冊もなくて出るのは
しょっちゅうです。
たただっていらない本のほうが
ずっと多いくらいです。
それは子どもだつて同じです。
そこのところをちゃんと押さえて
送る本を選ばないと
大人の傲慢をおしつける話になってしまいます。

aまず、こう考えたらどうでしょう。
自宅の本棚の中で
おもしろくてこれはとっておきたいなあと
思うくらいの絵本や児童書を
送るかどうかというところから考える。
子どもがいる人は
子どもと相談しながら選ぶ。

bここは絶対、大事なところです。
なぜなら心のこもったプレゼントというのは
自分がいいなあと思うものを
選ぶのが原則だからです。

c子どもがそれはだしたくないというかもしれません。
でも、そこで話し合う過程こそ
ボランティアの意味を
親子で話し合う
またとない場になるはずです。
なんなら子どもと交渉して
「なら、この本は手元に置くことにして
でも、この本は送ってあげようよ」なんて
親子で被災地に思いをはせながら
選んだらどうでしょうか?

dいいものは自分のところに
みんなとっておいて
つまらなかつたものだけ送るとしたら、その考え方は
合理的なようでいて
とても下品です。
今回の災難を乗り越えるには
みんなが少しづつ
なにかを失いあい、だしあって、
しかし、その結果、いつかみんなで
もっと大きなものを得ているかもという
長い道を行くしかないだろうと思います。

e第一、被災地はゴミ捨て場ではないし、
つまらない本ばっかりいったら
現地の子ども文化は
どうなってしまうのでしょう。

fもし、ここで向こうの子どもたちを
励ましたいと思うなら
自分がこれは名作・傑作だと思う本、
子どもがかって夢中になった本、
すぐれた作家のものだと思える本、
などなど、とにかく自分が
責任もって
勧められる本を入れていこうと
考えるものかと思います。

gこんなときこそ、
今の日本のぼくらが持っている
最良の絵本と児童書の底力に、
「現地に行けないぼくらに代わって
子どもたちを楽しませたり、
いい時間を過ごさせてやってね、頼むよ」と
願いを託すものでしょう。
そういうレベルの本がまざっていないと
力になりません。
では、その本はなにか
誰が選ぶのかといえば
もちろん、ぼくらの眼力です。

h二点目。
しかし、そう単純でないのが
絵本や児童書のおもしろいところです。
そうはいいつつも、自分にはおもしろくないけど
他の人にはおもしろいかもと思える本はあります。

iへたな本、おおあじな本、
作者と画家のひとりずもうの本、
作者の目が深いところに届いていない本というのは
誰が見てもつまらないのですが、
趣味の違いというのは確かにあります。
虫の本とか鉄道の本とか
好きな子は夢中になるけど
興味ない子には「フーン」てなもんです。
それはもう、当然です。
そのへんは主観とは別の
客観的なセンスの方を導入して
選ぶものかと思います。

j三点目。
でも、です。
これは最初の呼びかけに
「もう読まないと思う本の中で
おもしろいものを」と書きました。
ただ、「おもしろいもののみ」と書いてしまうと
冊数が少なくなってしまいそうだからです。
「もう読まない」というところを
「不要品」と受け取らないでください。
「それなりにおもしろかったけど、
もう大きくなってしまったから読まなくてもいい」と
いう意味に受け取ってください。

k絵本や児童書で大事なことのひとつは
冊数をたくさん読むことです。
ある程度の数の本を読んでいくうちに
自分の好みがなんとなくでき、
読みこめるようになり、
自分なりの名作をさがす基準もできていきます。
だから、ぼくらには子どもに名作を読んでもらいたいなあと
ひそかに思ってしまいつつ、しかし、そればかりの促成栽培では
よくないとも知っていて、広い世界を
丸ごと提供するような
複眼思考が必要になります。

lだから、具体的には
「この絵本がうちから出す目玉の本だ」というのは
「エイヤー」と、しっかり何冊かは入れてもらって、
そこそこ、これもまあ、おもしろいかなあくらいのものを
たくさん入れてください。
でないと今回の被災者も避難所も
はんぱな数ではありません。
冊数がたりないと思います。

mそれから、これはみんな書かないので
あえて書きますが、
本のとても重要な要素に
「時間つぶし」ということがあります。
そのいいかたに抵抗があるなら
「どうせなら、いい時間の流れを持つ」といっても
いいです。

nたとえば、ミステリーや時代物が好きな大人は
大勢いますが、
そういうのを電車の中で読んでいる時、
この本でなにかを吸収しようとか
メッセージを得ようなんて誰も考えていません。
ただ、どうせ同じ時間なら
心を動かしていた方が楽しいのです。
そういうところにいわゆるB級アクションものの
意味があったりします。

o絵本や児童書にはそういう要素もとてもあります。
そのへんを押さえておかないと
「みんな仲良く」だの「命は大切」だの
おもしろさ抜きで
向上心をやたら育てようと、
メッセージ性の強いものばかりを
選んでしまったりします。
これは今回の本を送る動きとは
似合わないと思います。

p(メッセージがあるものがよくないと
一律にいってるのではありません。
反論の余地のない陳腐なメッセージだと辟易とするんで
考えるに値する、メッセージなら好きなんです。
でないと、子どもは深く考えないで
「差別」と聞いたら、あ、「それはよくない」と
いっておけばいいんだなあという
処世術をメッセージとして受け取っちゃうと
思うんです)

q本はそのおかげでものがたりの世界に
こころを遊ばせていい時間が流れたというのが
まず、大事で
その上でなにか得るものがあったというなら
ラッキーってなものかと思います。

rまた、子どもが本に没入している間
親が自分の仕事をしたり
休息できるというのも
とても大きな効用です。

s一人で読むもよし、親やまわりの人に読んでもらうもよし、
大きい子に読んでもらうもよし、
まわしっこして読んでもらうもよし、
いろんな楽しみ方を作れるのも
いいところです。
一冊の本をそこにいる人たちが読みあって、
同じものがたりを共有していくというのも
とてもいいです。

tわざわざ、あたらしい本を買う必要はないとありません。
お金をだすなら、それは義援金で
だした方が全体のためだと思います。

u逆に、あんまりポロポロの本や
古い本もやめましょう。
もらった子が悲しい気持ちになります。
このへんは各人の良識でいきましょう。

v子どもはリアルとファンタジーの間を
行ったり来たりしながら
大きくなっていくものだと思いますが
今回の災厄は
子どもをあまりにリアル過多に振ってしまいました。
その現実の前にとりあえず、なすすべはありませんが
子どもにはやはり、
おもしろいものがたりの世界で、いっときでも遠い世界に
心を遊ばせて夢見てもらいたいものです。
子どもがにこにこしている顔を見ることが
大人の生きがいであったりするときも
確かにあります。

wさて、長々と書いてきました。
もちろん、これはすべてぼくが
個人的に思っているということなんで、
だからといって
送られてきた本を
ぼくが検閲してピックアップしてしまうなんてことは
一切ありません。
ご安心ください。

xでは、みなさん、絵本と児童書を
送ってください。
ほかの人にも
どうぞ、ひろめてくださいますように。
こちらの文も
よかったら
つけたしてください。
でも、これは
逆効果だと思ったら
やめてください。
そこらへんは
ご賢察にお任せします。
ぼくの書いたことの中で
ひとつでも
なるほどと思ってもらえるところがあったら
幸いです。

y今回の災厄の後始末がいつか一段落したら、
協力してくれた大勢の皆さんとどこかで
お会いできますように。

zあまりに長い文になったので
わかりにくいぞとつっこみたい方用に
段落ごとに頭に記号をつけました。
みなさんがじょうずにまきこまれてくれて、
また、他の人をじょうずにまきこんでくれて、
この作戦がうまく行きますように!
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絵本児童書の送り先が、杉山さんのご自宅以外に出来つつあります。
名古屋や京都で、自分のところを使って下さいと名のりをあげておられる方がいらっしゃるそうです。集荷場所は、ただ今、整理中のようですが……随時情報をお伝えいたします。送りたいという方は、どうぞくすのきに、メールでご連絡下さい。あるいはここの私書箱(左下の猫の写真のネームカードをクリックして下さい)にでもオーケーですよ。
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by honnara-do | 2011-03-20 20:27 | もの | Trackback