受付スタート

今日は、同人誌「ぶらんこ」さんの合評会に、ゲスト参加させて頂きます。
なんと50号! 記念すべき合評会です!

それから、10月8日の講演会 申し込みがスタートしました!

# by honnara-do | 2018-09-16 12:09 | 講座 | Trackback

京都ライトハウス チャリティーコンサート

社会福祉法人 京都ライトハウス のチャリティーコンサート で、『ばあばは、だいじょうぶ』を朗読して頂けるそうです。

嬉しいです。

チケット代の収益金は、ライトハウスに寄付されます。

ライトハウスは、視覚障害者のための社会福祉施設です。

↓コンサートの詳細↓

http://www.kyoto-lighthouse.or.jp/news/read/id/931


# by honnara-do | 2018-09-08 14:08 | | Trackback

お家介護

北海道がえらいことに。。。次々、どうなっとるんじゃ。

母が毎日お世話になってる小規模多機能施設さんは、今朝もまだ停電中だった。
でも、今日から困っている利用者さんは、受け入れているとのこと。
うーん。悩んだが、昨日の熱中症騒ぎを考えれば、冷房のきいている家にいる方がいいと判断した。今日から姉は出勤するらしいから、私が一人でお家介護を担うわけだが、がんばるしかない!
冷房がきいていて、エレベーターが動けば、一人でも大丈夫! な、はず。

ヘルパーさんに電話をかけると、6名の利用者さんが来ています、と。
昨日、アイスノンと氷が役にたったので、うちのを使って下さいと申しあげた。が、今朝、本部からたくさん届いたそうだ。数日すると、うるおってくるのだなと思った。
大変なのは、やはり直後だ。今回、そこはもう自衛するしかないと悟った。備えていたつもりだが、つもりだった。ペットボトル水やお茶は備蓄しているし、台風が来ると知って、お風呂に水をためていた。食料、ロウソクや懐中電灯、ランプ、薬なども買ってある。
でも、暑さ対策はちょっと甘かった。氷少しとアイスノン3つ、保冷剤数個では、足りなかった。冷凍庫いっぱいに用意しておけば良かった。そうすれば、停電しても溶けにくかったと思うし。
アイスノンでいっぱいにする必要はない。手軽に小さなペットボトルの飲料を、凍らしておけば良かったと反省。それなら、溶けても飲料として利用出来る。

あとになれば色々思いつく。今後にいかそう。
今日の母のお家介護は、楽チンではなかったが、無事にすんだ。
夕方、小規模多機能施設さんの電気も復旧した!
ああ、良かった。
母の介護は、本来一人では無理(特にトイレ介助が、一人ではもう出来ないので、オムツにしてもらうことに。。。でも、オムツにするのが気持ち悪かったのか、日中、何度オムツチェックをしても濡れていなくて、夜、オムツパッドを夜用のロングサイズに変えていたら、じゃーとした。我慢していたのだと思う。便は、台風から一度も出ていない。オムツでしたくないんだろうな)なので、今日母にはしんどい思いをさせた。
施設が電気復旧と聞いて、ほっとしたが、母の方がもっとほっとしているかも。

# by honnara-do | 2018-09-06 22:08 | 家族 | Trackback

台風からの停電(まとめ)

台風、めちゃめちゃ怖かったです。すごい台風だと聞いていましたが、本当にすごかった。。。
うちは、風がきつくなってすぐに停電しました。

電気のない生活は、想像以上に大変でした。私と姉は何とでもなるんですが、母にとってはかなり過酷でした。

今回、毎日母がお世話になっている小規模多機能施設さんも停電で、受け入れ不可能となりました。
うちもまだ電気復旧してないんだけど、どうしたらいいの?!と一瞬思いましたが、仕方がありません。
受け入れ不可能でお休みとはいえ、スタッフさんは朝から動き回っているそう。小規模多機能施設さんには、一人暮らしの利用者さんや一人暮らしで寝たきりの利用者さんもおられるのです。
そういう人たちには、訪問介護が命綱。一軒ずつまわって、とりあえず食べ物、飲み物を手渡しています、と。
ああ、こんな時は、自分たちに出来ることを精一杯しなくてはならないと思いました。姉もいるし、何とかなるかなって。

けれど、甘かったです。

まず、エレベーターが使えず、要介護5(自分では寝返りも出来ない)の母を、人力で運ぶのが大変でした。
寝室は3階ですが、日中3階は灼熱地獄なので、下におろす必要があります。
→初日は、家によってくれた男性ヘルパーさん二人にお願いしたのですが、2日目は、姉と私で頑張りました。絶対に落とせないので、気合いで運びました。

そして、やはり熱中症対策。冷やすためには氷だと思い、朝からスーパーやコンビニをまわりましたが、思った以上に閉まっていました。あきらめかけた時、一軒、停電しているけれど、開いているコンビニを発見。溶けかけているけれど、まだ使えそうな氷を買わせてもらいました。
停電のためレジの機械が使えず、電卓で計算していたため、お会計を待つ人が列になっていました。時間がかかりましたが、とにかく買えて、すごく助かりました。
冷凍庫のアイスノンもぎりぎり冷えていたので、使いました。氷は限りがあるので、濡れタオルも併用しました。まめに水道水で冷やしては、交換し、時に体全体をふいたりしました。
でも午後3時ごろ、母の顔が赤くなり、体をさわるとかなり熱い。室温は30度ちょっと。やばい!と、必死で冷やし続けました。冷やす箇所を増やし、脇の下、首、おでこなどを冷やすようにしました。気休めかもしれませんが、ダンボールであおぎ、風を送ったりも。
なかなか熱は冷めず、怖くなってきた私と姉は、施設のヘルパーさんに電話をかけて相談。ヘルパーさんは、すぐに見に来てくれました。結果、もう少し様子を見ることに。
冷房がきいている受け入れ先を、どこか探すことも考えたのですが、母の場合、介護方法が難しいので、知らないところに連れて行くのは、なるべく避けたいと考えました。今まで、思ったようにみてもらえず、ぐっと弱ってしまったことが何度かありましたから、どうしても慎重になります。
けれど判断は誤らないように気をつけながらの、もう少しの様子見。母はだんだん冷えてきました。これで夜になれば涼しくなるし、大丈夫だろうと予想。が、今晩は昨晩より暑く、こりゃだめだーって感じになり、このまま寝ずに冷やし続ける覚悟でした。

で、22時すぎに、電気が復旧!
救われました( i _ i )

台風のあの強風は乗り切り、怪我もなく家は壊れませんでしたが、その後困りました。氷とアイスノンを手に入れること、あと、携帯電話の充電も。
私は、近くに住む友人(家は電気復旧済)が充電してくれて、アイスノンも貸してくれましたけど、彼女のような存在がいない私たちのような人、いるだろうな。
充電は、もっと出来る所があると思っていました。でも、意外になくて、ショックでした。
ネットで調べると、少し遠出をすれば何箇所かありましたが、母がいるので、遠出は無理。うちは車がないし、自転車ですぐに行ける範囲に、今回充電してくれるところは見つかりませんでした。

以上。今後の行政への期待と共に、自身の反省(もっと対策出来たのではないか)も込めて書いてみました。


# by honnara-do | 2018-09-06 01:12 | 家族 | Trackback

講演のお知らせ

講演のお知らせです!
講演は苦手ですが、今、悩んでいる人に言葉を届けたいし、安心して老いる事が出来る社会実現のために、話さなくてはと思うので。
が、がんばります。
講演の詳細は、こちら→ https://tosho.nishi.or.jp/2018/09/post-333.html

# by honnara-do | 2018-08-19 23:17 | | Trackback

初盆

東京、山形に行っていた。
東京では打ち合わせ、山形では東北芸術工科大学の集中講座。
どちらも無事にいい感じに終えて、帰ってきたら、すぐに父の初盆の法要をした。
親戚のおじさん(90歳)が、家まで来て下さった。
苗字が同じ楠さん、でも、お会いするのは20年ぶりぐらいだった。
おじさんは昔、うちのお風呂屋さんに住み込みで働いてくれていたらしいが、私は赤ちゃんだったので、覚えていない。
写真をとったら、みんな似ていて、血縁ってすごいなあと思った。
うちは私にも兄にも姉にも子どもがいないが、おじさんたちのところには孫まで生まれていて、なんかほっとした。

ところで、『ばあばは、だいじょうぶ』は、この夏もさまざまな所で読んでもらえているようだ。
認知症サポーター講座に、よく使ってもらっているようで嬉しい。
サポーター講座の様子 → https://www.doshinsha.co.jp/news/detail.php?id=1372

# by honnara-do | 2018-08-18 14:17 | 家族 | Trackback

文藝春秋

明日発売の「文藝春秋」9月号に、「百日紅は忘れずに」というエッセイを書かせて頂きました! 憧れの「文藝春秋」に掲載して頂けるなんて、感激です!!!

ちょうど芥川賞・直木賞の受賞作品とその選評が載る号です。私は芥川賞・直木賞の受賞作は必ず「文藝春秋」で読むようにしています。選評を読むのが、おもしろいからです。

今回、さらに嬉しいことがありました。
担当して下さった編集さんが、「週刊文春」の編集の方に異動になったのです。
「週間文春」! 父が毎週楽しみにしていた週刊誌です。私が子どもの頃、すでに読んでいましたので、少なくとも40年は、愛読していたと思います。
病床で、口からの栄養摂取を禁止され、病院のベッドで寝たきりになり、楽しみがない中、「週刊文春」を買ってきてくれと言い、調子が良い日はページを開いていました。そのことを、編集さんにお伝えしたら、その方は、もとは「週刊文春」の編集をしていて、少し「文藝春秋」にいて、また「週刊文春」に戻ったのだということがわかり、父のことを話すと、とても喜んで下さいました。
「週刊文春」の編集の人に、発売日を心から楽しみにしていた読者がいた事をお伝え出来て、本当に良かった。
お父さーん、伝えたよ! 喜んで下さったよ!

「文藝春秋」ホームページ

# by honnara-do | 2018-08-09 19:17 | | Trackback

吉田町続報

吉田町続報です!
ツイッターでの叫び声が、どんどん拡散されて、やっと報道が町に入ったようです。
支援はこれからだと思いますが、ひとまず良かった。
父の同級生さん家族の無事も、間に何人もの人が入り、確認出来ました。
一階は水浸しらしいですが、みなさん大丈夫のようです。ほっとしました。

# by honnara-do | 2018-07-08 22:42 | 家族 | Trackback

大雨被害

昨日、書いた祖父と父の故郷で、うちのお墓がある愛媛県宇和島市吉田町。
山崩れが起き、宇和島の方へも出れず、孤立された状態がまだ続いているようです。父は高校卒業まで吉田にいたので、同級生さんたちのことが心配です。電話、つながりません。
テレビでは、肝心のところが全然出てないようです。土砂崩れで、カメラも入れないためだと思われます。ツイッターなどでは、住民のみなさんが、取り残されてしまうのが不安だ、助けて下さいと叫び声をあげています。
今でも断水、停電、浸水、土砂崩れで完全孤立。水が底をつく人もいるそうです。
何か出来ることはないかと考えつつ、こうして情報を広げることしか出来ません。ああ、なんか他に出来ること、あるかな。
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# by honnara-do | 2018-07-08 11:40 | 家族 | Trackback

大雨

父が亡くなって、明日で3週間。
私はやることはやったから泣かないと宣言していたのに、今でも父の話をすると泣いてしまう。喪失感が大きすぎて、自分でも驚いている。
やはり最期の3日間に「悔い」が残ってしまって、いけない。
誰かを責めているのではない、だからこそやり場のない感情に途方にくれている。
転院は仕方なかった、でも……転院3日で亡くなったことが、どうしても仕方なかったよねと思えないのだ。
その日、亡くなる運命だったとしても、慣れた人たちの中で逝かせてあげたかった。
私たちが病院に着いた時、父の息はすでに絶えていた。
気難しく頑固な父が、8ヶ月のうちにやっと看護師さんや先生に心を許し、安心して過ごしていたのに、そんな人たちから離れ、さぞ不安だったことだろう。
守ってあげれなかった、知らない人ばかりの転院先で、一人で逝かせてしまった。
少し安定していたとはいえ、救急車で運び、新しい病院ではまた半日さまざまな検査をしなければならなかった。そんなこと、あの状態でさせたくなかった。

お母様を病気で亡くした親友が、そういう「悔い」を、世の中の人はみんな、抱えて生きているんじゃないかなと言った。自分もそうだしって。
ああ、そうなんだなあ。
生きていくというのは、そういうものを抱えていくということなんだなあ。

ところで、雨の被害がすごい。
祖父と父の故郷で、うちのお墓がある愛媛県宇和島市の吉田町が、大変なことになっている。浸水し、山崩れが起き、孤立した状態なのだ。
水も確保出来ないまま、救助を待っている人がいる模様。
ニュースになっていないのが問題で、ツイッターで個人が「見捨てないで!」「助けて下さい!」と呼びかけている。
ツイッターで、町の人が拡散している画像を見る限り、何度も歩いた町は、川になってしまっている。船で救助しているようである。
心配。父もきっと心配していると思う。

# by honnara-do | 2018-07-07 22:43 | 家族 | Trackback

のど仏さま

父の通夜、葬儀、それから初七日、無事に終わりました。
葬儀の段取りをしたのは初めてでしたが、「シンプルに、家で全て」という希望通りに行うことが出来ました。父と母のためのお式として、うまく進められました。
わが家の希望を、うまく叶えて下さった葬儀屋さんに感謝です。
担当さんもお世話をして下さった方々もお寺さんも、みんな親切で温かい人たちで、気持ちのいい3日間でした。
大きな地震があり慌てましたが、うちは母に痙攣発作が起きそうになったことと、花瓶が割れたぐらいの被害ですみ、お式には影響はありませんでした。

母にあまり負担がかからないよう、考えながら色々な予定をたてました。家でのお式ということで、やりやすかったです。
母には、まめに父が眠っている仏間をのぞいてもらうようにしました。なので、葬儀には10分ぐらいだけ出てもらえばいいかと。最初から最後までは、しんどいだろうし。
そして、いつも通りデイサービスに行ってもらおうと。
3日前、父が家に帰ってきてから、母は大変しっかりしていました。最近は表情がなくなりお人形のような感じの日も多くなっていたのですが、父を見てからの母の表情は豊かで、ああ、(父のこと)わかっているんだなと思いました。
葬儀の日も、10分してヘルパーさんが迎えにきて下さった時、はっきり「嫌!」と言い、私もヘルパーさんも驚きました。母の発する言葉を聞いたのは、いつぶりだったでしょう。数年ぶりかな。
それで、そのままけっきょく出棺までいてもらいました。
入院してから8ヶ月、父はひたすら母のために生きようと頑張りましたので、母もさいごに頑張って、父のそばにいようとしたのかもしれません。気丈な父でしたが、さらに気丈な母ですから、ちゃんと送り出すのは妻のつとめと思ったのかも。
父も母も、十分に夫として妻としてお互いのために頑張りあったと思います。

お骨あげには、母は連れて行きませんでした。車で移動するのは、さすがにしんどいでしょうから。
のど仏が崩れることなく、すごくきれいに残っていて、焼き場の人が「めずらしい」ですよとおっしゃいました。叔父が、これまで何人ものお骨あげをしたけれど、「こんなん初めてや」と言っていました。
のど仏というのは、喉にはなく、第二頸椎なのだと、葬儀屋の担当さんが教えてくれました。首の骨なので、頭の重みで潰れてしまうのだそうです。きれいに残るのは、骨の丈夫さではなく、運が大きいのだとか。
思えば、父は運のいい人でした。困ったことが起きてもなんとか乗り切ることが出来た、恵まれた人生だったと思います。





# by honnara-do | 2018-06-20 05:13 | 家族 | Trackback

家に帰ってきました

今朝、父が亡くなりました。
窮屈だった酸素マスクが、やっと取れました。そして、家に帰ってきました。
お父さん、おかえり。頑張ったね。

今晩は、母と同じ屋根の下でゆっくり眠って欲しいです。
通夜も葬儀も、家で、家族だけですることにしました。
母の負担も、それが一番少ないでしょうし。家が大好きだった父ですから。
父にとっては、家で普段通りにするのが、何よりの贅沢なはずです。

頑固で気難しい父でした。よく怒鳴られ、よく泣かされました。
意見を言おうとすると、「うるさい、黙れ!」とよく怒られました。
でも、不思議と今は、優しかった父のことばかりが思い出されます。

入院してから8ヶ月。だんだん悪くなり、もう危ないと何度も言われながらも、頑張り続けた父を、尊敬します。
先生も看護師さんも驚くほどに、気丈に母のために生きようとしました。
その生き様は、最期に親が見せる姿としては百点満点だったと、子は思います。

脳出血で倒れてから、大腿骨骨折をしてから、導尿が必要になってから……ここ10年ほどで、徐々に出来ないことが増えていき、私がお手伝いすることも徐々に増えていきました。8ヶ月前に入院してからも、なるべく毎日病院に通い、出来る限り寄り添ったつもりです。
十分にやることはやったもの。だから、亡くなった時には、泣かないぞと決めていました。悔いはない、涙は出ない……はずでした。
けれど、実際はわんわん泣いています。涙、すぐにこぼれます。
悔い、あります。
あの時、ああしてあげれば良かったな、ああしなければ良かったな。もっとああしてあげれば良かったな。

くよくよしていても、なんですが、鋼のハートの私でも、さすがにしばらくはくよくよしそうです。

これまで心配して下さった方、励まして下さった方、ありがとうございました。
父は穏やかな顔で、眠っています。
家に帰ってきて、ほっとしているようです。

※ お香典、お花は受け取らないことになりました。
お問合せ下さったみなさま、すみません。お気持ちだけ頂いておきます。

# by honnara-do | 2018-06-18 01:50 | 家族 | Trackback

転院

父の転院は、みなさんに助けて頂き、何とか無事に進んだ。
搬送は、救急車でサイレンをならしながら。主治医、呼吸器を管理して下さる先生、看護師、そして父と私。限られた乗車人数の中、誰が乗るのがいいかも、最後までよく考えて下さった。
今、少し安定しているとはいえ、重い状態に変わりはなく、救急車で搬送中に危険な状態になる可能性も大いにあるわけで、その状態の人を転院させなければならないことには、今でも納得はしていない。ただ、そういう決まりがあり、誰もが決まりに従って動いている中で、最大限の思いやりがあった。だから、父の転院に関わっている人の誰のことも悪くは思っていない。送り出す側も、しんどかっただろうと思う。

仕方のないこととして受け入れ、前を向かなければ。

新しい病院は、小さくて古いところだけれど、看護師さんも先生も感じが良い。
父のベッドは窓際で、空が見える。父は家にいる時も、窓から空を眺めるのが好きだったので、嬉しそうである。

転院に伴い、機械が変わったので、ちょっと小さめのマスクを試してみることになった。小さくなった分、マスクのずれ、空気漏れや加圧パワーは心配だけれど、擦れて出来てしまった鼻の皮のめくれがかなり深刻だから、その点では父の苦痛軽減になるだろう。

良かったことを並べて書いてみたが、環境が変わる時には、やはり負担が生まれる。
搬送の危険もそうだし、声が出ない父の意思をくみながらの介護を、新しい看護師さんたちには一から試行錯誤してもらわなければならない。父も意思が伝わらないのは、辛いはずだ。
設備が変わり、良かったものが新しい病院にはないのも、父の体には負担である。例えば、床ずれ予防のための大きなクッション(スネーククッション)が、新しい病院にはない。口から栄養が摂れない父はがりがりに痩せていて、出っ張ってしまった背骨に沿って褥瘡が出来やすい。床ずれ予防は大事なのだ。褥瘡はすごく痛いから。
これは、ネットですぐに購入し持ち込ませてもらうことに。3万円近くしたけれど、今の父のためなら安い買い物である。
それから、主治医が変わることは1番大きな負担かもしれない。
もちろんこれまでの状況は申し送りされるが、今までの全てはなかなか伝え切れるものではない。実は昨日、新しい病院の先生から気管切開をすぐに提案されたのには、おどろいた。むしろ気管切開はしない(いや、出来ない病院)だと了承して、それでもいいならということで、転院する流れになったのだ。それが出来る、いや、した方がいいと言われて、一瞬思考が追いつかなかった。
なぜ気管切開をすすめるのか、新しい先生に聞いてなるほどとは思ったが、無事に救急車で何事もなく転院完了した後、いきなり起こった新しい問題。正直、どっと疲れた。
気管切開とは、簡単に答えを出せない大問題である。転院に際して「気管切開はしないでいい」ということを決めるのも、姉と悩みながら話し合ってやっと出した答えだった。で、今度は、した方がいいというのだから、また悩み直しだ。
今日、前の病院に行って、前の主治医さんと看護師さんに相談してきた。看護師をしている友人Fちゃんとと親戚のEちゃんにも、電話で聞いてみた。
新しい先生のご提案も、父のことを思ってくれてのことである。してみるのもアリかと考えたりもする、が、ここで体にメスを入れるのも負担じゃないかとも考える。
する、しない、どちらが正しいということはない。
姉としっかり話し合って、決めていかなくては。
新しい先生から新しい提案がされたのは、いい事かもしれない。でも、新しい先生にこれまでの経過を話すのは骨が折れるし、そのために前の先生に会いに行ってこれまでの経過に込めた思いを確認するのも、転院をしなければ「しなくていいこと」ではある。

さてさて、なんか愚痴みたいになりそうなので、この辺でやめておこうかな。
が、愚痴みたいでもこうして文字として記すことは、意味があると思っている。

写真は、前の病院の看護師さんたちが書いて、持たせてくれた紙。ありがたい。
新しい病院の看護師さんたちが、父の意思をすぐ理解出来るようにって。
だいたい要望はこれぐらいで、上から順番に聞いていくと、それをして欲しいところで、父が頷くのだそうだ。私より前の病院の看護師さんたちの方が、今の父との付き合い方に関してはわかっていた。
ああ、転院したくなかったな。父もそうだろうな。
昨夜は、家に帰ると、前の病院のみなさんへの感謝と、寂しさと、そして新しい病院に対しての不安がいっしょくたになってこみ上げてきて、久々にめちゃくちゃ泣いてしまった。
いやいや、新しい病院のみなさんもいい人そうだし、ちゃんとコミュニケーションを築いていかなくちゃ。
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# by honnara-do | 2018-06-15 19:24 | 家族 | Trackback

転院ついに

うちの最寄り駅から4つ目の駅にあるO病院。
駅からも近く、古くて小さな病院だが評判も悪くないし、転院の希望を出していた。が、空き待ちだった。
そのO病院の看護師さんと相談員さんが、父の様子を見にきて下さったのが、先週。
それで、受け入れを検討したいので、また面談に来て下さいと連絡があり、私がO病院に行ってきたのが一昨日の月曜日。
そして今日。主治医、看護師、相談員さんと、姉と私で話し合い、O病院への転院が決まった。 しかも、明日の朝に移動することに。急展開である!
救急車で搬送するとはいえ、父には負担が大きいので、調子のいい今を逃さない方がいいという判断だ。
父に話すと、うなずいていた。
ほっとする気持ち、不安な気持ち、寂しい気持ち、私でさえ複雑なのだから、父はどんな気持ちなんだろう。
でも、前を向いていくしかないね。
O病院なら、母も会いに連れていける範囲だし、私たちも通いやすい。いい方向に風が吹いてくれたと思っている。

# by honnara-do | 2018-06-13 19:13 | 家族 | Trackback

日曜日なので、母を父のところへ連れて行ってきた。
父はここ最近、目を開けるのもしんどそうで、だんだん元気がなくなっているなあと思っていたのだが、今日はすごく調子が良さそうで、目をぱっちり開けてくれた。
首を持ち上げ、母の顔を見ようとした。そんな力、あったんだと驚いた。

高槻の病院を見学に行った時、「このままで行こうと考えていますか?」と聞かれた。加圧の呼吸マスクをつけ、中心静脈から栄養を入れている今の状態は、いわば延命措置であり、それをこの先も継続するつもりかどうかの確認だった。
ここ最近の父は、先に書いたがだんだん元気がなくなってきていたし、加圧のマスクは鼻を押さえるので、皮が捲れてしまってとても痛そうだし。
私は「正直なところ、マスクをはずすこと、栄養を入れるのもやめること、考えたりはしています」と答えた。けれど、姉はまだそうは思えないだろう。

そして今日。目をぱっちり開け、首を持ち上げ、声をかけるとしっかりうなずく父がいて、ああ、まだ頑張ろうとしているのだなと感じた。
安易な判断はできない。
母がお世話になっている小規模多機能施設のNさんが(今日は病院についてきて下さったのだ)そんな父を見て、「お父ちゃん、まだ頑張ろうとしてはるやん。上のお姉ちゃんが、まだマスクを外したり考えられないの、わかるわ」とおっしゃった。
それから、「お父ちゃんの性格やったら、まだあきらめてへんやろうな」とも。
母も父も、パッと見では「もう生きているだけ」のように見えるかもしれない。母の場合は、表情もなくなってきているし、何もわからないのに……って。
父の場合は、口から栄養を摂れず、呼吸も機械頼りなのに……って。
それでも、家族や近い人には、生きようとする意思が見える。家族の顔を見れば、喜ぶ一瞬の表情が見える。

# by honnara-do | 2018-06-10 13:51 | 家族 | Trackback

遠いー

今日見学に行った枚方の病院は、ちゃんとしているところだったけれど、わが家からは遠すぎでした。駅からバスでしか行けないのも、ちょっとなー。そのバスも1時間に1本だし、ちょっとなー。
往復4時間以上かかった。さすがに疲れた。
私たちが通うのもだけど、母があの距離を介護タクシーにゆられて行くのは、負担が重すぎる。
しかも、今は酸素の機械に空きがなくて、ベッドは空いているらしいが、父の場合は予約して空き待ちだとか。。。


# by honnara-do | 2018-06-08 18:08 | Trackback

病院見学

今月末は、伝記物の〆切。
毎日ノルマを決めて、マラソンを走るように書いている。
正直しんどい日もあるけど、マラソンは止まってはいけないのだ〜
また走りだす時、よけいしんどくなるからな。

今日はまた、父の転院先の病院の見学に行ってきた。
近くの病院に次々と断られ、ついに高槻の病院である。
わが家は大阪市内の、しかもほぼ兵庫県側なので、高槻は誰に言っても遠い。
でも遠くても、「そこは、遠いので……」は、もう転院先が見つからない言い訳にはならない。今いる病院の人たちも、今日の病院の相談員さんも、申し訳ない顔で対応してくれる。こちらも、いつまでも決まらなくて申し訳ない。が、やっぱりどこでも言い訳じゃないし。。。

今日、見学させてもらった病院は、今までで1番しっかりしていて、感じが良かった。安心感があった。。。でも、60日しかいられない地域包括型病院というやつで、また2ヶ月したら出なくてはならないのだ。
動かすのも大変な重病人の父に、その負担は大きいし、私たちも、病院探しがまだまだ続くのかと思うと、どっと疲れる。ふう。
明日は、枚方(これも遠い〜)の病院の見学だ。

# by honnara-do | 2018-06-07 16:47 | 家族 | Trackback

すみれの会

母がお世話になっているT先生が開催されている、認知症お悩み相談会です。
毎月第4月曜日、午後2時から3時。私も毎回、参加させて頂いております。
興味のある方は、お気軽にお越し下さい。
私はかつて家族で問題を抱え、1人で悩んでいました。当時、こういう会に出合っていれば、どんなに救われただろうと思います。
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# by honnara-do | 2018-06-02 22:58 | 家族 | Trackback

童話塾 in 関西

今年もやります、童話塾!
私は、絵本ワークショップのお手伝いをしますよ(╹◡╹)
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# by honnara-do | 2018-06-01 23:48 | 講座 | Trackback

連載終了!

毎日新聞の連載「ハニーのためにできること」が、本日無事に終了しました!
読んで下さったみなさま、ありがとうございました!
ハニーが死ななくて良かったという感想を頂きました。こういうお話のゴールは「死」というのが多いですが、今回の場合、必要がないと思いました。
明るく前向きに終わりましたよ。

# by honnara-do | 2018-05-31 23:52 | | Trackback

転院先探し

父は二酸化炭素が高めで、そのせいで意識がはっきりしないのか、目を開けない。でも、全く意識がないのかというと、呼びかけると反応はあり、頷いたりはする。
今もテレビをつけようか?と尋ねると、頷いた。テレビ画面は見ないが、聞くだけでも刺激になる。

転院先探しは、続行中。
新たな病院がリストにあがり、家あるいは施設プラス訪問看護という選択肢も出てきた。父の場合、選択肢が少ない。大変だけど、さいごの場所になるだろうから、安易には選べない。
ほんまこの転院問題は、社会問題やと思う。うちのように終末期の人の場合、少しでも一緒にいたいのに、病院探しに時間をとられるのは何だかなあだし。。。療養型では難しい病状の人(うちの場合、酸素と二酸化炭素のコントロールが必要)は受けれられないことがあり、可能なのは、家からものすごく遠い病院だとか。患者本人も、今日明日生きるのも必死なのに、移動するのは大変だし。うちの父のように環境の変化を嫌う(繊細で気難しく、看護師さんや病院の雰囲気に慣れるのに苦労する)人は、せっかく慣れた頃に移動するのは、精神的にも負担が大きいし。家族だって、環境の変化は負担だ。
出て、ベッドを開けなければならない理屈はわかる。しかし、心がついていかないというか、この状態で。。。と、つい考えてしまう。


# by honnara-do | 2018-05-30 12:42 | 家族 | Trackback

転院

父の状態は、良くないが安定はしている。
加圧の酸素マスクは外せないが、外さなければ酸素の数値は悪くならない。
肺炎の炎症は、ここ数週間はひどくなっていない。でも喀痰吸引は数時間おきにしなくてはならない。目を開けている時間は、日ごと少なくなってきている。ベッドを起こすのも嫌がることが多くなった。しんどいのだろう。
しかし、安定しているので、転院先の病院探しは続いている。
リストにあった病院は、全部見学した。
それで1番いいなと思った病院にリクエストをしたが、断られてしまった。。。
加圧の酸素吸入をしていて、重病の父を引き受ける自信がないとどこの病院も言う。
対応出来るのは急性期病院なのだが、急性期病院は長くいれない。
じゃあ、どうしたらいいの? ということで、また先生とソーシャルワーカーさんと話し合うことになった。

昨日は、アミー二で絵本の勉強会だった。
私は講義を聴く側で、生徒さん。最近、先生側ばかりだったから、楽しかった!
課題本は、「おばあちゃんとバスにのって」
みんなで一冊の本について語り、考え、勉強する時間はとても贅沢だった。





# by honnara-do | 2018-05-28 13:56 | 家族 | Trackback

母の日

雨だったが、日曜日なので、母を父のところに連れていった。
先週は、母も父も目を開けてくれなかったが、今日の母は起きていて、父も母の顔を見ようとして、目を開け、頭を持ち上げた。
先週前半の父はかなりしんどそうだったが、後半は楽になったようでテレビを観たりしていての今日だった。
目をあけなかった週の前半、もしかしたらもう、酸素マスクをとるという選択もあるのかもしれないと考えた。でも、後半の様子を見たら、まだお父さんの寿命はあるんやなあと思う。
マスクをとってしまったら、父はもう母の顔を見ることは出来ないのだし。やっぱり出来ないなあ。父の終わりの時を、私たちが決めるのは重い。でも、もし決めた方がいいと感じる時が来たら、勇気を出さなくては。。。

そして、今日は母の日。母はデイサービスでカーネーションをもらって帰ってきた。感謝。



# by honnara-do | 2018-05-13 23:58 | 家族 | Trackback

くいしんぼうのおつきさま

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絵本教室アミー二の生徒、なかたみちよさんの絵本が刷り上がってきた。デビュー作である! めでたいめでたい、いやあ、めでたい!

『くいしんぼうのおつきさま』(文研出版)
ほしぞらレストランに現れたのは、おなかがぺこぺこのお月さま。コックさんは、その夜のお月さまにぴったりの食べ物を用意する。

月の満ち欠けのお話で、子ども文化科学館の学芸員であるなかたさんだからこそ創れた1冊☆

アミー二の生徒さんはみんな頑張っていて、ここ2、3年で児童書の挿絵のお仕事をした人や、絵本の絵担当のお仕事をした人もいる。今回のなかたみちよさんの絵本は、絵も文もなかたさんで、絵本教室としてはとても嬉しい!
アミー二は、今年8年目。主宰は、梅花女子大 児童文学科の先輩、氷室真理子さんだ。私も氷室さんも川村たかし先生が恩師。
川村先生は、よく「10年コツコツ書く覚悟で、頑張ってみなさい」とおっしゃった。10年して芽が出なかったら、あきらめていい読者になりなさいとも。
10年という区切りは、早くデビューしたい人には長く、でもぼやぼやしているとあっという間でもある。
私はゼミに入って本格的に書き始めたのが20歳だったから、そこから10年で30歳でデビューした。途中、劇団の脚本書きに熱中していた時期もあったが、あれも作家修行としては必要な時間だったかなと思う。
さて、絵本教室もすぐには成果のようなものは出なかったが、スタートから10年が近づいてきて、少しずつ星が輝き始めた。なかたさんの他にも、出版社さんとやりとりを進めていて、デビューが近い人もいる☆
私はただの絵本のテキスト担当。主宰の氷室さんが今日まで信念を貫きながら、続けてこられたことを尊敬する。
ちなみに、スタートから先生として一緒に頑張ってきた絵本研究者の鈴木穂波さんは、私の梅花女子大のゼミの同期だ。
天国の川村先生、教え子たちは、川村先生が蒔いて下さった児童文学の種を発芽させ、育て、花を咲かせ、さらに新しい種を蒔いて、育てていますよ。


# by honnara-do | 2018-05-11 12:26 | | Trackback

病院探し

昨日の日曜日は、午前中に母を病院に連れていき、父に会わせたが、母も父も調子がよくなくて、目を開けてくれなかった。
声をかけると、頭を動かし頷くので、眠っているわけではないのだが、しんどいのだろう。
午後からは、京都で童話塾のミーティングだった。
早いもので、もう5月なんだなあ。秋に開催予定の童話塾の準備は、ほぼ1年かけてやっている。実行委員は、みんな積極的に仕事を担うような人ばかり。人として尊敬出来る人たちばかりだ。

今日は、父の転院先候補の病院を1つ見学してきた。雨が激しく降ってきて、着くまでにびしょびしょになってしまった。
今日の病院は、古いながら整理整頓されているし、ベッドもつめこみでなく、雰囲気は悪くないと感じた。が、父の使っている加圧して酸素を送り込む機械を使用している人はいなくて、必要ならレンタルするとのこと。うーん。。。
まだ他も見学しようと思う。

新聞連載が始まって、一週間。
会う人会う人が「読んでるよ」と言って下さる、ありがたい。
ネットでも読めるよー

# by honnara-do | 2018-05-07 16:59 | 家族 | Trackback

スタート

今日から、毎日新聞(関西版)の連載「ハニーのためにできること」、無事にスタート!
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# by honnara-do | 2018-05-01 16:00 | | Trackback

少しずつ

今日は、母を父に会わせにいってきたが、父は元気なく、声をかけるとうなずきはするものの、目を開けてはくれなかった。
ここしばらく劇的な変化はないが、少しずつ弱っていっていると思う。
二酸化炭素が溜まっているので、昼間も酸素加圧のマスクが外せない。
転院先は、まだ決まらないが、探してはいる。リストの病院を1つずつ見学している。
延命については、正解というものがわからないままだ。

もうすぐ毎日新聞(関西版)で、お話の連載が始まる。
タイトルは「ハニーのためにできること」
昨年、父と母が飼っていた老犬を看取った経験から生まれたお話。犬の介護に重ねて、人間の介護についても考えてもらえればと思う。書いていた期間は、父を見つめる日々だった。お話の中では、延命についても考える。
ちなみに、私は生まれた時から、ずっと家に犬と猫がいる。この先も、出来るなら動物(できれば犬か猫)と暮らしていきたい。でも、子どもがいない自分に何かあった時、動物にかわいそうな事になるのではないか、誰かに迷惑をかけるのは良くないと考えてしまう。今、猫が2匹いるが、このこたちがいなくなって、また新しいこを迎えるかと考えると、やはり躊躇う。
子どもがいる人だって、同居していない場合は、同じように考えるのでは。
独居老人だって、安心して動物と暮らせる社会になればいいのになあ。
そんな未来に期待してのお話である。願いをこめて、主人公のふたばには、頑張ってもらう。
連載は5月の1ヶ月間。エブリディ!



# by honnara-do | 2018-04-29 13:55 | 家族 | Trackback

すみれの会

今日は、母がお世話になっている脳神経内科の先生が、「認知症お悩み相談会」をされるというので、参加させてもらった。
「すみれの会」という名前もついて、今後も月一回行われるそうだ。
母の症状が出始めた(いわゆる初期の)頃に、こういう会があれば、どんなに救われたことかと思う。
どこに相談していいかもわからず、だれにも話せず、わが家の介護ははじめ、かなり閉じたものになってしまった。
早くもっとオープンにしていくべきだった。
何より認知症のお薬を飲ませるのが遅れたし、父に負担をかけたし、母も不安で心細かっただろう。

今日は第1回目で、どれくらいの人が集まるのか、先生や看護師さんもわからないと話しておられたけれど、けっこうたくさんの人が病院内のはり紙を見て参加された。
とても良かったなと思ったのは、認知症の家族を支えている人、それからご自身が認知症の症状で不安を抱えている人の両方が集まり、今の気持ちを話し合った事だった。
家族たちは「わかっていても怒ってしまい、自己嫌悪に陥る」と話し、ご本人たちは「こんなことが出来ずに困った」経験などを話した。
ご本人は自分の子どもや伴侶には話せなかった心の内を語り、家族は自分の親や奥さんが話さなかった心の内を想像したのでは。
お互い近すぎると言えないことが、だれかになら話せる。そして、だれかを通して聞くことが、近い人の声だったりする。

うちはもう初期の悩みは通り過ぎたけれど、わが家の経験が何かみなさんのお役にたてばと思うので、次回も参加させてもらうつもりでいる。



# by honnara-do | 2018-04-23 23:18 | 家族 | Trackback

高丘親王航海記

「高丘親王航海記」 ITOプロジェクト
原作 澁澤龍彦 ・ 脚本、演出 天野天街

を、観てきました。糸あやつり人形芝居、初めて拝見しましたが、想像以上にすばらしかった!

人形たちは、まるで生きているように動いていました。でも、人形独特のかたさが、幻想的なこのお芝居に妖しさを生み、何とも美しい世界が創り上がっていました。
入院中に澁澤龍彦が書き、遺作となったこの作品。天竺めざす親王と病床で死を見つめただろう澁澤龍彦が重なり、熱いものがこみあげてきました。
ラストシーンで、病におかされた親王はトラに喰われる事を望みます。その身を腹の中におさめたトラに、天竺まで運んでもらおうと考えるのです。澁澤龍彦は、死への恐怖を抱えながらペンをすすめ、このラストシーンに辿り着いたのでしょうか。祈りをこめたような、悟りをひらいたような……いろいろ考えさせられるラストでした。
また親王の人形は、亡くなった維新派の松本雄吉さんをモデルに作られているそうで、松本雄吉さんと親交のあった人は、さらに感慨深かったのでは。亡くなった人が人形となり、目の前にあらわれるんですもの、そして幻想的な旅をしながら天竺をめざすんですもの、けれど病で志半ばとなり、でもあきらめず、トラに喰われることで辿りつこうとするんですもの。
トラに喰われることを、親王はグッドアイデアのように話していました。そういう辿り着き方もある、私もグッドアイデアだと思います。澁澤龍彦や松本雄吉さんや、自分の周りの亡くなった人たちのことを考えながら、すごく救われた気分でした。ああ、レクイエムのようなお芝居だったな。

親王役の飯室康一さん主宰の京都にある劇団みのむしさん、何度かお誘い頂いたのに行けないままで、本日拝見出来て本当に良かった。
人形には細そうな糸が何本もつながっていて、絡まないのが不思議でした。人形を操るのと、声の人は別だと思っていたら、同じ人でびっくりしました。
それから、人形を作るのも操っていたみなさんだと聞いて、ふたたびびっくり。糸あやつりのみなさん、すごすぎます!

# by honnara-do | 2018-04-23 00:29 | 演劇 | Trackback

あたらしい絵本大賞

今日は「あたらしい絵本大賞」の表彰式に出席して、「ほしぞらのきょうりゅうたち」で大賞にかがやいた☆中田美智代さんに花束を渡した。花束はもらうのも嬉しいが、渡すのも嬉しい。中田さん、おめでとう!

中田さんは絵本教室アミー二の生徒さんで、はじめーる、ふかめーる、つくーるという1年間の基礎クラスを経て、今はみてみてクラス(専科のようなもの)で絵本を作っている。中田さんはアミー二の何期生だったかな、たぶん5期生だったかな。だいたい7名ほど(それぐらいが丁度いい)で開講するのだけれど、中田さんの年は2名しか集まらなくて、今年は開講しないでおくという選択肢もあった。でも、せっかく勉強したいと思っている人を1年も待たせたくなくて、開講させてもらった。1年待つうちに、やろうという気持ちは消えてしまうかもしれない、ちゃんと待ったとしても、その人のスタートは1年遅くなってしまう。

人生の時間は有限だから、待たせることも遅くしてしまうことも、したくないなと思った。

2名でも開講した事が今回の受賞につながったというわけではないが、開講しなければ、もしかしたらアミー二と中田さんとのご縁はなかったかもしれないし、あたらしい絵本大賞と中田さんのご縁もなかったかもしれない。賞も出版も不思議なもので、タイミングってある気がする。来年だったら、中田さんは(同じ作品を応募しても)大賞を獲れなかったかもしれない。よくない方向のかもしれないを回避して、全部いい方向にむかったと思う。

受賞作はこれから、ひかりのくにから出版され、未来屋書店の協力を得て販売される。楽しみだなあ。

そして夜は、講演を終えられたいとうみくさんと関西の作家さんたちところへ行き、サムギョプサルを食べた。サムギョプサルは美味しかったし、みくさんやみなさんとお会い出来て嬉しかった。残念ながら、中田さんの授賞式と重なってしまい、講演は聴くことが出来なかった。またいつかきっとみくさんの講演を聴く機会はめぐってくると信じている☆

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# by honnara-do | 2018-04-16 02:49 | | Trackback

作家・楠章子のきまぐれ*のんびりブログ*日々のささやかなことを書いていこうと思います


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