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講演のお知らせ

講演のお知らせです!
講演は苦手ですが、今、悩んでいる人に言葉を届けたいし、安心して老いる事が出来る社会実現のために、話さなくてはと思うので。
が、がんばります。
講演の詳細は、こちら→ https://tosho.nishi.or.jp/2018/09/post-333.html

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by honnara-do | 2018-08-19 23:17 | | Trackback

初盆

東京、山形に行っていた。
東京では打ち合わせ、山形では東北芸術工科大学の集中講座。
どちらも無事にいい感じに終えて、帰ってきたら、すぐに父の初盆の法要をした。
親戚のおじさん(90歳)が、家まで来て下さった。
苗字が同じ楠さん、でも、お会いするのは20年ぶりぐらいだった。
おじさんは昔、うちのお風呂屋さんに住み込みで働いてくれていたらしいが、私は赤ちゃんだったので、覚えていない。
写真をとったら、みんな似ていて、血縁ってすごいなあと思った。
うちは私にも兄にも姉にも子どもがいないが、おじさんたちのところには孫まで生まれていて、なんかほっとした。

ところで、『ばあばは、だいじょうぶ』は、この夏もさまざまな所で読んでもらえているようだ。
認知症サポーター講座に、よく使ってもらっているようで嬉しい。
サポーター講座の様子 → https://www.doshinsha.co.jp/news/detail.php?id=1372

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by honnara-do | 2018-08-18 14:17 | 家族 | Trackback

文藝春秋

明日発売の「文藝春秋」9月号に、「百日紅は忘れずに」というエッセイを書かせて頂きました! 憧れの「文藝春秋」に掲載して頂けるなんて、感激です!!!

ちょうど芥川賞・直木賞の受賞作品とその選評が載る号です。私は芥川賞・直木賞の受賞作は必ず「文藝春秋」で読むようにしています。選評を読むのが、おもしろいからです。

今回、さらに嬉しいことがありました。
担当して下さった編集さんが、「週刊文春」の編集の方に異動になったのです。
「週間文春」! 父が毎週楽しみにしていた週刊誌です。私が子どもの頃、すでに読んでいましたので、少なくとも40年は、愛読していたと思います。
病床で、口からの栄養摂取を禁止され、病院のベッドで寝たきりになり、楽しみがない中、「週刊文春」を買ってきてくれと言い、調子が良い日はページを開いていました。そのことを、編集さんにお伝えしたら、その方は、もとは「週刊文春」の編集をしていて、少し「文藝春秋」にいて、また「週刊文春」に戻ったのだということがわかり、父のことを話すと、とても喜んで下さいました。
「週刊文春」の編集の人に、発売日を心から楽しみにしていた読者がいた事をお伝え出来て、本当に良かった。
お父さーん、伝えたよ! 喜んで下さったよ!

「文藝春秋」ホームページ

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by honnara-do | 2018-08-09 19:17 | | Trackback

吉田町続報

吉田町続報です!
ツイッターでの叫び声が、どんどん拡散されて、やっと報道が町に入ったようです。
支援はこれからだと思いますが、ひとまず良かった。
父の同級生さん家族の無事も、間に何人もの人が入り、確認出来ました。
一階は水浸しらしいですが、みなさん大丈夫のようです。ほっとしました。

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by honnara-do | 2018-07-08 22:42 | 家族 | Trackback

大雨被害

昨日、書いた祖父と父の故郷で、うちのお墓がある愛媛県宇和島市吉田町。
山崩れが起き、宇和島の方へも出れず、孤立された状態がまだ続いているようです。父は高校卒業まで吉田にいたので、同級生さんたちのことが心配です。電話、つながりません。
テレビでは、肝心のところが全然出てないようです。土砂崩れで、カメラも入れないためだと思われます。ツイッターなどでは、住民のみなさんが、取り残されてしまうのが不安だ、助けて下さいと叫び声をあげています。
今でも断水、停電、浸水、土砂崩れで完全孤立。水が底をつく人もいるそうです。
何か出来ることはないかと考えつつ、こうして情報を広げることしか出来ません。ああ、なんか他に出来ること、あるかな。
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by honnara-do | 2018-07-08 11:40 | 家族 | Trackback

大雨

父が亡くなって、明日で3週間。
私はやることはやったから泣かないと宣言していたのに、今でも父の話をすると泣いてしまう。喪失感が大きすぎて、自分でも驚いている。
やはり最期の3日間に「悔い」が残ってしまって、いけない。
誰かを責めているのではない、だからこそやり場のない感情に途方にくれている。
転院は仕方なかった、でも……転院3日で亡くなったことが、どうしても仕方なかったよねと思えないのだ。
その日、亡くなる運命だったとしても、慣れた人たちの中で逝かせてあげたかった。
私たちが病院に着いた時、父の息はすでに絶えていた。
気難しく頑固な父が、8ヶ月のうちにやっと看護師さんや先生に心を許し、安心して過ごしていたのに、そんな人たちから離れ、さぞ不安だったことだろう。
守ってあげれなかった、知らない人ばかりの転院先で、一人で逝かせてしまった。
少し安定していたとはいえ、救急車で運び、新しい病院ではまた半日さまざまな検査をしなければならなかった。そんなこと、あの状態でさせたくなかった。

お母様を病気で亡くした親友が、そういう「悔い」を、世の中の人はみんな、抱えて生きているんじゃないかなと言った。自分もそうだしって。
ああ、そうなんだなあ。
生きていくというのは、そういうものを抱えていくということなんだなあ。

ところで、雨の被害がすごい。
祖父と父の故郷で、うちのお墓がある愛媛県宇和島市の吉田町が、大変なことになっている。浸水し、山崩れが起き、孤立した状態なのだ。
水も確保出来ないまま、救助を待っている人がいる模様。
ニュースになっていないのが問題で、ツイッターで個人が「見捨てないで!」「助けて下さい!」と呼びかけている。
ツイッターで、町の人が拡散している画像を見る限り、何度も歩いた町は、川になってしまっている。船で救助しているようである。
心配。父もきっと心配していると思う。

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by honnara-do | 2018-07-07 22:43 | 家族 | Trackback

のど仏さま

父の通夜、葬儀、それから初七日、無事に終わりました。
葬儀の段取りをしたのは初めてでしたが、「シンプルに、家で全て」という希望通りに行うことが出来ました。父と母のためのお式として、うまく進められました。
わが家の希望を、うまく叶えて下さった葬儀屋さんに感謝です。
担当さんもお世話をして下さった方々もお寺さんも、みんな親切で温かい人たちで、気持ちのいい3日間でした。
大きな地震があり慌てましたが、うちは母に痙攣発作が起きそうになったことと、花瓶が割れたぐらいの被害ですみ、お式には影響はありませんでした。

母にあまり負担がかからないよう、考えながら色々な予定をたてました。家でのお式ということで、やりやすかったです。
母には、まめに父が眠っている仏間をのぞいてもらうようにしました。なので、葬儀には10分ぐらいだけ出てもらえばいいかと。最初から最後までは、しんどいだろうし。
そして、いつも通りデイサービスに行ってもらおうと。
3日前、父が家に帰ってきてから、母は大変しっかりしていました。最近は表情がなくなりお人形のような感じの日も多くなっていたのですが、父を見てからの母の表情は豊かで、ああ、(父のこと)わかっているんだなと思いました。
葬儀の日も、10分してヘルパーさんが迎えにきて下さった時、はっきり「嫌!」と言い、私もヘルパーさんも驚きました。母の発する言葉を聞いたのは、いつぶりだったでしょう。数年ぶりかな。
それで、そのままけっきょく出棺までいてもらいました。
入院してから8ヶ月、父はひたすら母のために生きようと頑張りましたので、母もさいごに頑張って、父のそばにいようとしたのかもしれません。気丈な父でしたが、さらに気丈な母ですから、ちゃんと送り出すのは妻のつとめと思ったのかも。
父も母も、十分に夫として妻としてお互いのために頑張りあったと思います。

お骨あげには、母は連れて行きませんでした。車で移動するのは、さすがにしんどいでしょうから。
のど仏が崩れることなく、すごくきれいに残っていて、焼き場の人が「めずらしい」ですよとおっしゃいました。叔父が、これまで何人ものお骨あげをしたけれど、「こんなん初めてや」と言っていました。
のど仏というのは、喉にはなく、第二頸椎なのだと、葬儀屋の担当さんが教えてくれました。首の骨なので、頭の重みで潰れてしまうのだそうです。きれいに残るのは、骨の丈夫さではなく、運が大きいのだとか。
思えば、父は運のいい人でした。困ったことが起きてもなんとか乗り切ることが出来た、恵まれた人生だったと思います。





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by honnara-do | 2018-06-20 05:13 | 家族 | Trackback

家に帰ってきました

今朝、父が亡くなりました。
窮屈だった酸素マスクが、やっと取れました。そして、家に帰ってきました。
お父さん、おかえり。頑張ったね。

今晩は、母と同じ屋根の下でゆっくり眠って欲しいです。
通夜も葬儀も、家で、家族だけですることにしました。
母の負担も、それが一番少ないでしょうし。家が大好きだった父ですから。
父にとっては、家で普段通りにするのが、何よりの贅沢なはずです。

頑固で気難しい父でした。よく怒鳴られ、よく泣かされました。
意見を言おうとすると、「うるさい、黙れ!」とよく怒られました。
でも、不思議と今は、優しかった父のことばかりが思い出されます。

入院してから8ヶ月。だんだん悪くなり、もう危ないと何度も言われながらも、頑張り続けた父を、尊敬します。
先生も看護師さんも驚くほどに、気丈に母のために生きようとしました。
その生き様は、最期に親が見せる姿としては百点満点だったと、子は思います。

脳出血で倒れてから、大腿骨骨折をしてから、導尿が必要になってから……ここ10年ほどで、徐々に出来ないことが増えていき、私がお手伝いすることも徐々に増えていきました。8ヶ月前に入院してからも、なるべく毎日病院に通い、出来る限り寄り添ったつもりです。
十分にやることはやったもの。だから、亡くなった時には、泣かないぞと決めていました。悔いはない、涙は出ない……はずでした。
けれど、実際はわんわん泣いています。涙、すぐにこぼれます。
悔い、あります。
あの時、ああしてあげれば良かったな、ああしなければ良かったな。もっとああしてあげれば良かったな。

くよくよしていても、なんですが、鋼のハートの私でも、さすがにしばらくはくよくよしそうです。

これまで心配して下さった方、励まして下さった方、ありがとうございました。
父は穏やかな顔で、眠っています。
家に帰ってきて、ほっとしているようです。

※ お香典、お花は受け取らないことになりました。
お問合せ下さったみなさま、すみません。お気持ちだけ頂いておきます。

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by honnara-do | 2018-06-18 01:50 | 家族 | Trackback

転院

父の転院は、みなさんに助けて頂き、何とか無事に進んだ。
搬送は、救急車でサイレンをならしながら。主治医、呼吸器を管理して下さる先生、看護師、そして父と私。限られた乗車人数の中、誰が乗るのがいいかも、最後までよく考えて下さった。
今、少し安定しているとはいえ、重い状態に変わりはなく、救急車で搬送中に危険な状態になる可能性も大いにあるわけで、その状態の人を転院させなければならないことには、今でも納得はしていない。ただ、そういう決まりがあり、誰もが決まりに従って動いている中で、最大限の思いやりがあった。だから、父の転院に関わっている人の誰のことも悪くは思っていない。送り出す側も、しんどかっただろうと思う。

仕方のないこととして受け入れ、前を向かなければ。

新しい病院は、小さくて古いところだけれど、看護師さんも先生も感じが良い。
父のベッドは窓際で、空が見える。父は家にいる時も、窓から空を眺めるのが好きだったので、嬉しそうである。

転院に伴い、機械が変わったので、ちょっと小さめのマスクを試してみることになった。小さくなった分、マスクのずれ、空気漏れや加圧パワーは心配だけれど、擦れて出来てしまった鼻の皮のめくれがかなり深刻だから、その点では父の苦痛軽減になるだろう。

良かったことを並べて書いてみたが、環境が変わる時には、やはり負担が生まれる。
搬送の危険もそうだし、声が出ない父の意思をくみながらの介護を、新しい看護師さんたちには一から試行錯誤してもらわなければならない。父も意思が伝わらないのは、辛いはずだ。
設備が変わり、良かったものが新しい病院にはないのも、父の体には負担である。例えば、床ずれ予防のための大きなクッション(スネーククッション)が、新しい病院にはない。口から栄養が摂れない父はがりがりに痩せていて、出っ張ってしまった背骨に沿って褥瘡が出来やすい。床ずれ予防は大事なのだ。褥瘡はすごく痛いから。
これは、ネットですぐに購入し持ち込ませてもらうことに。3万円近くしたけれど、今の父のためなら安い買い物である。
それから、主治医が変わることは1番大きな負担かもしれない。
もちろんこれまでの状況は申し送りされるが、今までの全てはなかなか伝え切れるものではない。実は昨日、新しい病院の先生から気管切開をすぐに提案されたのには、おどろいた。むしろ気管切開はしない(いや、出来ない病院)だと了承して、それでもいいならということで、転院する流れになったのだ。それが出来る、いや、した方がいいと言われて、一瞬思考が追いつかなかった。
なぜ気管切開をすすめるのか、新しい先生に聞いてなるほどとは思ったが、無事に救急車で何事もなく転院完了した後、いきなり起こった新しい問題。正直、どっと疲れた。
気管切開とは、簡単に答えを出せない大問題である。転院に際して「気管切開はしないでいい」ということを決めるのも、姉と悩みながら話し合ってやっと出した答えだった。で、今度は、した方がいいというのだから、また悩み直しだ。
今日、前の病院に行って、前の主治医さんと看護師さんに相談してきた。看護師をしている友人Fちゃんとと親戚のEちゃんにも、電話で聞いてみた。
新しい先生のご提案も、父のことを思ってくれてのことである。してみるのもアリかと考えたりもする、が、ここで体にメスを入れるのも負担じゃないかとも考える。
する、しない、どちらが正しいということはない。
姉としっかり話し合って、決めていかなくては。
新しい先生から新しい提案がされたのは、いい事かもしれない。でも、新しい先生にこれまでの経過を話すのは骨が折れるし、そのために前の先生に会いに行ってこれまでの経過に込めた思いを確認するのも、転院をしなければ「しなくていいこと」ではある。

さてさて、なんか愚痴みたいになりそうなので、この辺でやめておこうかな。
が、愚痴みたいでもこうして文字として記すことは、意味があると思っている。

写真は、前の病院の看護師さんたちが書いて、持たせてくれた紙。ありがたい。
新しい病院の看護師さんたちが、父の意思をすぐ理解出来るようにって。
だいたい要望はこれぐらいで、上から順番に聞いていくと、それをして欲しいところで、父が頷くのだそうだ。私より前の病院の看護師さんたちの方が、今の父との付き合い方に関してはわかっていた。
ああ、転院したくなかったな。父もそうだろうな。
昨夜は、家に帰ると、前の病院のみなさんへの感謝と、寂しさと、そして新しい病院に対しての不安がいっしょくたになってこみ上げてきて、久々にめちゃくちゃ泣いてしまった。
いやいや、新しい病院のみなさんもいい人そうだし、ちゃんとコミュニケーションを築いていかなくちゃ。
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by honnara-do | 2018-06-15 19:24 | 家族 | Trackback

転院ついに

うちの最寄り駅から4つ目の駅にあるO病院。
駅からも近く、古くて小さな病院だが評判も悪くないし、転院の希望を出していた。が、空き待ちだった。
そのO病院の看護師さんと相談員さんが、父の様子を見にきて下さったのが、先週。
それで、受け入れを検討したいので、また面談に来て下さいと連絡があり、私がO病院に行ってきたのが一昨日の月曜日。
そして今日。主治医、看護師、相談員さんと、姉と私で話し合い、O病院への転院が決まった。 しかも、明日の朝に移動することに。急展開である!
救急車で搬送するとはいえ、父には負担が大きいので、調子のいい今を逃さない方がいいという判断だ。
父に話すと、うなずいていた。
ほっとする気持ち、不安な気持ち、寂しい気持ち、私でさえ複雑なのだから、父はどんな気持ちなんだろう。
でも、前を向いていくしかないね。
O病院なら、母も会いに連れていける範囲だし、私たちも通いやすい。いい方向に風が吹いてくれたと思っている。

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by honnara-do | 2018-06-13 19:13 | 家族 | Trackback

作家・楠章子のきまぐれ*のんびりブログ*日々のささやかなことを書いていこうと思います


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